冬の張家口 

(2)

モンゴルに備えた大境門

1月11日(土)朝、いよいよ張家口の大境門へ。

前述のように北京の西を守る八達嶺の居庸関のさらに西側に大境門はある。モンゴルとの最前線にあたる。

大境門も、もちろん万里の長城に繋がっている。八達嶺はかなり修復され観光地となっているが、ここは訪れる人も

少なく、近くの狼煙台や周辺の街もまだ昔の面影を残している。

大境門にちょうど馬車(?)が通りかかり、なんとなく古風な感じになった気がするが。

大境門正面                                    大境門の上から万里の長城を望む

大境門から万里の長城を少し登り、内モンゴル方面を眺めて見た。また、すぐ下の狼煙台も全体の構造がよくわか

った。ただ、長城に登り始めると風が強く寒さが倍加し、そうそうに引き上げて来て、写真をあまり撮れなかったのが

悔やまれる。

左上方がモンゴル方面、手前が大境門

中央が狼煙台、手前の建物はお寺になっていた

狼煙台から張家口の市街を望む

蒙古連合自治政府

張家口は日本軍がバックとなって、1939年に作られた「蒙古連合自治政府」の首都にもなったところだ。内蒙古

チャハル部西スニト旗の王公の出身の徳王がその指導者。大モンゴルの再興を夢見る徳王と日本軍の利害が一

致した結果だった。

旧蒙古連合自治政府(現在は市政府の建物)

内部は日本的な感じがする

旧連合政府の建物と大境門のあいだに徳王の旧邸だった徳王府がある。

徳王府

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1月12日(日)ホテルで朝食後、列車で北京へ。

車窓は張家口駅を過ぎて30分ほどもすると雪山、岩山の連続、これではモンゴル軍は進入できなかっただろうと実

感できた。短い旅も終わりに近ずき、あとは今日の午後と明日の午前中、北京の街を散策するのみ。

正午前に北京南駅に到着。4つある北京の駅のなかでこの南駅前はまるで浅草のような下町の雰囲気。まだトロ

リーバスが走り、いかにもレトロなムード。これも、しばらくすると近代的な駅に変わってしまうのだろうか。

北京南駅

トロリーバスも現役                                   駅前の雑貨屋

夜は宿舎の陶然賓館に隣接したレストランで食事。ここは前に見つけたところ。お客は中国人ばかりで外国人は

ほとんど来ない。海鮮料理でおいしく、しかも安い。

1月13日(月)

午前中、金に滅ぼされた北宋の徽宗皇帝の子・欽宗皇帝が北方に連れ去られる前に幽閉された法源寺などを訪

れた後、前門街で買い物を兼ねて散策した。

 

法源寺

13日午後14:50分、ANA906便で北京から成田へ。

 

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