上海はこのところ大発展を遂げ、東京をも上回る大都市へと

成長する勢いだ。でも戦前のOLD上海を懐かしむ人も多い。

バンドを形成したサッスーンハウス(和平飯店)、ブロードウェイ

・マンション(上海大廈)などなど。不十分ながらその一部を

紹介してみよう。

サッスーンハウス(和平飯店)の屋上から黄浦江を望む

     1 バンド周辺 

       はじめて上海に行ったのは10年以上も前、鑒真丸で神戸から出発した。今から考えると

       ずい分、優雅な旅だった。2日かけて、ようやく長江から黄浦江へ。

       長江は日本人の感覚では川というイメージを超え、海のよう。黄浦江に入ってようやく川で

       あることを実感した。

      高杉晋作の見た上海1862

       「図説 上海」(河出書房新社)より

       広い川が黄浦江、右が蘇州河、左側の大きい円内が上海県城、中央の楕円形が競馬場Δ

    鑒真丸(がんじんまる)で黄浦江へ

    10数年前の黄浦江(上海大廈から)

                ブロードウェイ・マンション(上海大廈)

                東洋のマタハリといわれた川島芳子が定宿にし、外人記者ク

                ラブもあり上海のシンボル的存在だった。

      バンドというのは人工の土手や堤防のこと。イギリス人は海から長江を遡りこの上海に入って

      きたから黄浦江の河岸は重要だった。「河岸通り」=「The Bund」は上海の中心となった。

      ここにイギリス領事館、ジャーデン&マセソン商会、サッスーン商会などが並んでいた。

 サッスーンハウス(和平飯店)の1階ロビーとジャズバー

     2 孫文故居

                        孫中山(孫文)故居と前庭

     孫文が上海時代に夫人の宋慶麗とすんだ住居。フランス租界にある。

   3 旧宋慶麗邸

     宋慶麗は1937年まで孫文故居に住んでいたが、1948年に蒋介石からこの邸宅を贈られた

     (それまでは蒋介石の長男・蒋経国が住んでいた)。その後1963年に北京に移るまでここに

     住んでいた。死の直前には国家名誉主席となった。

     4 馬勒(ミューラー)の故居

   イギリスの租界の特徴は教会と競馬場だといいます。上海のイギリス租界の郊外に競馬場が

     ありました。その競馬王といわれた馬勒(ミューラー)の邸宅。ヴィクトリアン・ゴシックに北欧

     調の塔が特徴という。今は中国共産主義青年団上海市委員会が入っている。

    5 聖三一教会

     上海最初のプロテスタント教会として1847年に竣工。イギリスゴシック様式。赤レンガの壁

     から「紅礼拝堂」とも呼ばれた。

    6 静安賓館

              静安賓館の主楼と広い前庭 

     1925年、ドイツ人が外人用マンションとして建てたもの。広い庭園の中に白壁スペイン風の

      主楼と西楼が建っている。

 

      ※上海には何回も行っているのですが、他の場所を目指す通過点として立ち寄ることが

        多いためあまり紹介できませんでした。また、機会があったら追加していくつもりです。

 

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